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懐かしい物ふぁんくらぶ♪コミュのエンドレスナイト

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コミュ内全体

エンドレスナイトは、1984年7月から1990年6月にかけて、関西テレビで毎週土曜日深夜(正確には日曜未明)の「プロ野球ニュース」終了後(いつもずれ込むのでばんば他がボヤくのが定番)から明け方にかけて、関西ローカルのみで放送された生放送の情報バラエティ番組。司会はシンガーソングライター・ばんばひろふみとタレント・兵藤ゆき、そして同局のアナウンサー・杉山一雄。これに一般公募の女性リポーター陣「エンドレスギャルズ」(1期8人、以下ギャルズ)が加わる。エンドレスギャルズは半年毎に交替していた。

生放送番組でありつつ、放送終了時間を特に設けなかったのでいつ放送が終わるかわからないという、ユニークな番組体裁が話題を集めたほか、生放送ゆえのハプニングも続出した番組であった。番組の流れは、特集コーナー、視聴者からの葉書紹介、ゲストコーナー、体操、お夜食生調理コーナーなどがあった。

また番組の内容を反映したムック本「エンドレスナイトマガジン」を発売。関西ローカルのみでの放送の番組本だが、ベストセラーでは常に上位に顔を出していた。加えて番組グッズ、視聴者参加イベントなどが数多く展開され、厚い支持を受けた他、本来裏方である番組制作スタッフが様々な形で出演し、時に出演者以上の人気を集めた。


出演者

パーソナリティー(司会者)
ばんばひろふみ(ばんばん)
兵藤ゆき(ゆき姐)
杉山一雄(おすぎ。元関西テレビアナウンサー、2006年7月定年退職、フリーアナウンサー)

エンドレスギャルズ
各期のギャルズについてはエンドレスギャルズの項を参照のこと。

その他のレギュラー出演者
ギャルズが交替する半年毎に「体操コーナー」「お夜食クッキング」等のコーナーに、それぞれの指導をする専門家が登場。その他、コーナーによって、様々な出演者が登場した。


番組内容
ばんばん賞
番組冒頭と午前3時すぎに放送されるハガキのコーナー。時にハガキを出した人に電話をかける事も。
ショッキングレポート
番組のメインコーナー。街の面白情報を中心に、エンドレスギャルズが各地を取材して、スタジオで報告する。視聴者参加の大型企画の模様もここで放送された。
ニュースジョッキー
エンドレスギャルズ1名と杉山一雄アナウンサーによる一週間のニュースフラッシュ。漫才形式が評判をよんだ。後に杉山アナウンサーが1人で担当する「ニュースダイジェスト」となる。
TVオークション
番組初期のコーナー。激安商品を視聴者が電話で落札する。
怒れるおじさま言いたい放題
栗本慎一郎、村松友視らの中年男性オピニオンリーダーが週替わり登場し、ギャルズと語り合う。番組初期のコーナー。
ミッドナイトテレビショッピング
番組開始初期のコーナー。
クイズあげまんにゃワールド
電話参加の視聴者とギャルズがペアになって挑戦するクイズコーナー。番組初期の企画。
OPEN TELEPHONE どっからでもかけてこんかい
毎回テーマを決めて、視聴者から電話を募るコーナー(1988年)
愛は惜しみなく
視聴者とエンドレスギャルズによるミニドラマ。8期では趣向を変えて「008貸します娘大作戦」となり、以後「愛のエンドレス劇場」(9・10期)「愛のCM作戦」(11・12期)となる。
目指せ100万点!ロータスクーポン大作戦
食品、文具のパッケージに付いている「ロータスクーポン」を、番組と視聴者で100万点分集めて、番組のメモリアルになるものを作ろうと展開。約4ヶ月で達成し、大阪の港区築港にある天保山の公園に時計台を設置することができた。
Hey!10秒
視聴者がテレビカメラに向かって一発芸やPRなど、自由に参加するコーナー。番組末期(11・12期)に放送。
体操コーナー
インベーダー作戦
番組前期に展開した「エンドレスナイトをメジャーにする」ために視聴者が行った独自のPR作戦を紹介するコーナー。プロの漫画家が作品中にエンドレスナイトのマークをこっそりと書いていたことから、数人のプロ漫画家の作品が紹介された。どおくまんプロが頻度が多かったようである。
運ベーダー作戦
番組のキーホルダー「運ホルダー」に「運」を入れ、視聴者にプレゼントをするコーナー。受験生などに好評を得た。出演者が「運」を入れながら一発ギャグを見せる。スタッフの登場も多く、ここから千草宗一郎プロデューサー(後述)の人気に火がついた。1986年9月から番組最終回まで続いた。
オットタイム
番組初期のコーナー。杉山一雄アナウンサーがバーテンダーに扮し、オリジナルカクテルを紹介。
お夜食クッキング
コーナー提供社のハウス食品の商品を使った料理コーナー。当初はギャルズと杉山アナウンサーのみの進行だったが、番組後期(9期以降)にはレストランのシェフが登場し、グレードアップした。
イラストコーナー
毎週視聴者から送られてくるイラストを紹介。半年に一度「イラスト大賞」も行われた。デフォルメが激しく、このイラストを送った者の中から漫画家が数人輩出したようである。エンギャルが「餌食状態」で有ったが、特徴を旨くデフォルメしたものが多かった。千草宗一郎プロデューサーが端に書かれていたことが多い。
ほんわかトーク
番組前〜中期に放送された、ばんば・兵藤2人によるフリートークコーナー。
ギャルズインフォメーション
天気予報、コンサート情報、新作ビデオ情報、占い、視聴者プレゼントなど。
真鍋の予想
10期企画。競馬誌の編集部でアルバイトをしていた第10期ギャル・真鍋ゆかりが翌日曜のメインレースを予想。
エンディング
深夜に入ってきたニュースや産経新聞の朝刊記事を杉山アナウンサーが紹介、来週の予告なども。
コーナーは時期によって変動あり。また半年毎にエンドレスギャルズやコーナー出演者(体操の先生、料理の先生など)が交替するため、タイトルの変更も多かった。

番組スタートの経緯
1980年代中盤、東京のテレビ各局では、フジテレビの「オールナイトフジ」をはじめ、数多くの深夜の大型生放送番組が人気を博していた。フジテレビから「オールナイトフジ」のネットの要請もあったが、「お色気は一切排除する」という意向があったために拒否した(その後、当時の郵政省からのクレームで「オールナイトフジ」からもお色気が排除された)。それを受けて、関西テレビでも土曜深夜の大型生放送番組の企画準備が進んでいた。そして1984年1月、後に番組では「セクシー上沼」の愛称で人気者となった、上沼真平プロデューサー(同局取締役ゼネラルプロデューサー/2006年現在)に白羽の矢が立ち、番組発足に向けて動き出した。上沼は番組終了までの6年間、プロデューサーを担当した。

この時「司会者はお笑いタレント以外の人を」「お色気は一切排除する」「終了時間未定(これのみオールナイトフジの流れをくんだ)」などのコンセプトが立てられ、吉本・松竹に代表される、従来の関西のお笑い番組とは一線を画した「夢のある面白情報番組」のコンセプトが生まれた。

そして、メインを飾る男性司会者を選定するにあたっては「関西出身で大阪弁をしゃべる事」「知的な欲求が強い」「団塊の世代で既婚者、子供が居ること」「男前でなく、親しみやすい」といった条件にあてはまる人間を起用することにした。その結果、ラジオの深夜放送のパーソナリティーとして、若者から絶大な支持を集めていたばんばひろふみが選ばれ、女性からは兵藤ゆきを抜擢した。

当時、ばんばは毎日放送ラジオの「MBSヤングタウン」、文化放送「セイ!ヤング」続く「青春キャンパス」でそれぞれ、歌手・谷村新司と「チンペイ・バンバン」のコンビで人気を博していた。また兵藤も、KBS京都ラジオの「ヤングテレフォンQ&A」で、若者の悩みに真剣に答えるアネゴ的存在で、悩める若者から慕われていた。2人ともテレビ番組の本格的な司会は初めてで、ばんばはこの出演依頼に消極的であったが、時間制約が極めて緩く、またラジオ的な展開が可能であることに惹かれ、司会を承諾したという。

そして番組を彩るエンドレスギャルズも「可愛いだけのアホはいらん!」の姿勢で呼びかけ、初期のギャルの中には女性漫才コンビ「ハイヒール」のモモコや、女性カントリーソンググループ「ラブ・ポーション」の笠井則江や中村貴子、ジャーナリスト志望のナンシー・リーなどがいた他、後に関西の情報番組で活躍するリポーターや司会者など、様々な将来性・可能性をもったギャルズが在籍していた。この斬新なキャスティングや、お色気のない爽やかなスタイルが、男女問わず、若い世代を中心に人気を集めた。

加えて、深夜の生放送に異例ともいえる、ニュースコーナーやテレビショッピングコーナーを設けたことや、終了時間を未定とすることで、関西テレビは報道局や技術送出セクション、また関連会社などの全面的なバックアップ体制を敷いた。また、こうした不確定要素の多い番組でありながら、同社の労働組合も、これまでにない新しい番組という事で積極的に支援したという。こうした中、1984年7月7日の深夜、24時41分に番組はスタートした。


様々な人気者
「エンドレスナイト」は、本来視聴者の前に姿を現さない、番組のディレクターやプロデューサーをはじめとしたスタッフが「人気者」となってしまうという点が、他の番組とは決定的に違う点であり、また大きな特徴でもあった。番組の合間、時にスタジオの横で見切れる(映ってしまう)ディレクターを、出演者のばんば、兵藤は積極的に放送中のネタにした。これも2人が番組開始まで、自由な雰囲気のラジオ番組で活動していたことに起因する。

そういった状況下から、番組には視聴者からのイラストが、出演者のみならず、スタッフのそれまで送られるようになり、その過熱ぶりは回を追う毎にヒートアップし、スタッフもミドルネームを付け、エンドロール(番組終了時に流れる、ロールスーパー)にもその名前が表記されるようになる他、さまざまなシーンで登場。プロデューサーの上沼が自らセーラー服姿で出演するなど、インパクトを与えた。この雰囲気が番組のアットホームさを強くし、また他の深夜番組と一線を画したものであったといわれている。

また、番組に関わるスタッフに限らず、関西テレビの様々な社員(当時の局長・局次長クラス)や関係者(局周辺のレストランのオーナーなど)も、番組に何らかの機会で登場すると、彼らのイラストが寄せられるようになった。番組では当時の同局の上層部・重役陣を「エライちゃん」と一括りで呼び、ネタの対象にし、局内に向けても番組の浸透を図ることで、よりアットホームさを醸し出していた。

中でも1986年から番組に参加した千草宗一郎プロデューサー(2005年7月より同局代表取締役社長、2007年4月辞任)は、本人が石原裕次郎のファンであることから「タフガイ千草」と呼ばれていたが、その独特な風貌から後に「シーチャカ」(名前の由来は石原のヒット曲「嵐を呼ぶ男」のリズム「シーチャッカ」という音から)と呼ばれ、イラストの「餌食」と化した。また番組内の様々なコーナーに登場し「エンドレスナイトのカリスマ」と呼ばれるようになる。後に人事異動で番組を離れる際には「さらばシーチャカスペシャル」と題したスペシャル企画が放送され、千草プロデューサーと親交のある関西のマスコミ関係者が総出演した。

そして番組末期には苧木晃ディレクターのイラストが、当時一世を風靡した映画「バットマン」のパロディ「ラビットマン」の名で視聴者から送られてきた。これに着目した番組は映画「ラビットマン」を番組スタッフ・キャスト・関係者総動員で制作。1回限りの上映だったが、梅田コマ劇場で上映会を行い、さらにメイキングシーンも収めたVHSビデオも販売された。又、この映画には後にK-1などで格闘技界の中心的存在となった「正道会館」の角田信朗や、当時全くの無名選手であった佐竹雅昭が出演した他、道場のシーンやアクションシーンなどで協力した。後に、この映画の監督を務めた「ミーハー横山」こと横山順一ディレクターはK-1大阪大会の総合演出を手がけ、現在も格闘技イベント演出の第一人者として活躍している。


テレビを飛び出した展開
放送上での展開が基本となるテレビ番組に於いて、エンドレスナイトはより番組以外でのアピールの場を求めることを続けた他、メディアミックスやグッズ展開などで、番組の存在感をより強くしていた。


視聴者がPR「インベーダー作戦」と2WAYコミュニケーション
3時間以上に及ぶ放送時間、当時としてはかなりの話題性をもったエンドレスナイトであったが、それでも深夜の番組ということで、より深い浸透を図らねばならなかった。その一つとして、ラジオ的なツーウェイコミュニケーションの展開であった。まず、そのきっかけ作りとして、パーソナリティーのばんば・兵藤らは視聴者に向かって、ラジオ番組のように「君」「あなた」と呼びかけるように心がけた。

つまりテレビでは、不特定多数の視聴者に対し「ご覧の皆さん」と呼びかけるのが暗黙の了解であったが、ラジオパーソナリティーとしての経験も踏まえたばんばと兵藤は「君、あなた」と呼びかける事で、視聴者との距離を縮めた。これは「『皆さん』の中では漏れてしまう人はいるが、『君』『あなた』の中に、漏れる人はいない」という上沼の考えでもあった。そんなコミュニケーションを深めていった中から生まれた企画が「インベーダー作戦」なるコーナーであった。

本来、番組のPRは放送局が率先して行うものだが、番組では並行して視聴者に「エンドレスナイトを広めて下さい!」とお願いするようになる。その代わりに自身のPR活動を番組に報告する葉書が紹介されたら、希望の番組のグッズが贈られるという仕組みにし、視聴者との一体感をより強めていった。

その結果、視聴者からは「学級新聞に『エンドレスナイトを見よう』と書きました」と報告をする高校生や、学校の試験問題に「エンドレスナイト」の文字を入れた先生からの葉書、さらにちり紙交換車のアナウンスで「エンドレスナイトを見ましょう!」と叫んだ職員からの便りなど、さまざまな「作戦報告」が寄せられた。こうしたゲリラ的展開が功を奏し、番組は若年層のみならず、さまざまな層に浸透していった。

このゲリラ的なPR展開は、視聴者だけでなく出演者も自ら行う事が多く、毎年夏に放送されるフジテレビ系列の24時間テレビ「1億人のテレビ夢列島」では、梅田淳アナウンサーがエンドレスナイトのブルゾンを着用しての出演を果たす、ばんばが「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」にゲスト出演した際は、同じく番組グッズのタオルを掲げて登場するなど、全国ネットの番組でエンドレスナイトの名をアピールした。また、大阪を舞台にしたハリウッド映画「ブラック・レイン」(リドリー・スコット監督/1989年公開)には「エンドレスナイト」と書かれ、さらに両サイドには、フジサンケイグループの「目玉マーク」を正面につけたダンプカーが登場するなど、様々な局面で番組の存在を知らしめた。

また、現在活躍する関西の芸能人の中にも、番組に参加した経験をもつ者も多く、ますだおかだの増田英彦が当時番組に投稿していた他、辻本茂雄も視聴者参加のドラマコーナーに出演した事もある。


番組とイベントの融合
視聴者参加の場を様々な形で求めたエンドレスナイトが、その本領を発揮したのは大晦日のオールナイト生放送や、様々なイベントである。


視聴者参加企画
視聴者参加のイベントは数多く行われたが、中でも大規模だったのは「海外演技者(えんぎもの)シリーズ」と呼ばれる、ギャルズ卒業記念に行われた海外でのドラマ撮影に、一般視聴者が参加する企画である。近畿日本ツーリストとのタイアップでサイパンやタイのほか、昭和63年(1988年)には、ニューヨークツアーを敢行した。

もちろん国内でも関西地方を中心に大小様々なイベントや視聴者参加企画が行われたが、これらにも多くの参加者が集結、番組のパワーを見せつけた。近畿各地で開催された人気企画「ウルトラ風クイズ」は数回に亘り開催された。また、高校生を集めてのティーチイン企画「ほんわかフェスタ」は、高校生視聴者のために日中の公開録画の形式で行われた。この他にも近畿各地で開催された祭りやイベントには、視聴者とギャルズ、スタッフが一体となって参加。視聴者との距離が近い、ローカルの深夜番組の姿勢を全面に出した。


大晦日のオールナイト生放送
毎年大晦日深夜(元日未明)は「ゆく年くる年」の後、午前1時すぎから朝6時まで「エンドレスナイトスペシャル」と題し、オールナイトで放送され、大規模な企画が数多く展開された。これについては「エンドレスナイトスペシャル」の項を参照のこと。


開局30周年イベントとエンドレスナイト
平成元(1989)年4月15日・16日、吹田市の万博記念公園で、関西テレビの開局30周年記念イベント「MAGMA30」が開催された。2日間、総放送時間14時間に亘って、関西のお笑いタレントや、同局でレギュラー番組を持つタレントが総出演し、人気番組の公開放送やイベントが数多く繰り広げられた。

当初の予定では、このイベントは前年、昭和63年(1988年)11月19日・20日(関西テレビ開局記念日直近の週末)に開催される予定だったのだが、昭和天皇の入院・闘病により、日本全国で様々な催し物が「自粛」したため、昭和天皇入院直後の9月中旬、関西テレビは「延期」を決定した。元号が平成に改まった1月、改めてイベント開催が決定された。なお、番組も一度、昭和天皇の病状を伝える報道特別番組の放送のため、昭和63年(1988年)9月22日の放送が休止になったことがある。

こうした状況ののち、華々しく開催された「MAGMA30」。この時、エンドレスナイトは会場内にグッズショップをオープン。全国区で人気を誇るタレントの店やフジテレビグッズの店なども並ぶ中、前々年の「夢工場'87」に続き、売り上げ1位を記録した。また、15日が土曜日ということもあって、当日深夜の通常放送枠では「開局30周年記念クイズ」を放送し、関西テレビの当時の社長も出演した。

さらに2日間のイベントと生放送を締めくくるグランドフィナーレを、エンドレスナイトのスタッフが担当。ばんば・兵藤も出演したこともあって、会場の同公園の「お祭り広場」には観客が殺到し、一時は警察から中止命令が出る事態になった。しかし、2人の観客への説得もあってイベントは続行。会場では超大型の「エンドレスナイトスーパーサイズステッカー」が7000枚配布された。これを手にした観客とともに、番組のテーマ曲であり、関西テレビ開局30周年記念のテーマソング「DEAR MY FRIEND」を合唱して、大団円を迎えた。

この時、グランドフィナーレの演出を担当した苧木晃ディレクターは、エンディングに制作スタッフの名前を出さず、代わりに視聴者へのメッセージとして「今日までのあなたにありがとう、そして今日からも…We're always with you」の文字を流した。番組が提唱し続けた「イベントと放送の合体」は、こうした局を挙げた一大イベントの場でも成功を収めた。


番組の終焉
関西地区で土曜深夜の時間帯に、唯一長時間の生放送番組を続けてきたエンドレスナイトだったが、1989年4月に、フジテレビ系列の土曜23時台の全国ネット枠が拡大。それまで関東ローカルの深夜番組で人気を博していたバラエティ番組「夢で逢えたら」(出演:ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、野沢直子、清水ミチコ)が全国ネットに昇格。この番組が23時30分から24時までの放送になったため、その後に放送される全国ニュースと「プロ野球ニュース」の放送時間も30分ずつ繰り下がることになった。

それまで24時45分前後の放送開始だった番組が、25時15分開始に繰り下がったこと、また前年4月に毎日放送が裏の時間帯に生ワイド番組「板東英二のわがままミッドナイト」(司会:板東英二・角淳一・岩城潤子)をスタートさせた事など、幾つかの要因が重なり、番組は衰退を迎える。そして第12期ギャルズが登場した後に番組の終了が決まり、1990年春に発表された。

しかし番組末期も数多くのイベントを展開。1989年12月には「エンマガ」第8号に掲載された小説「エンドレスナイト殺人事件」(作/法月輪太郎)の舞台となった、滋賀県・竹生島を巡っての犯人探しツアー、大阪湾を航行する客船「さんふらわあ」を使ってのイベント、そして視聴者参加による大晦日のクイズ大会など、止まることはなかった。

さらに番組終了発表後も、番組キャスト・関係者総出演の映画「ラビットマン物語」を梅田コマ劇場で上映し、出演者が全員登場してのファイナルイベントも同時開催した。そして最終回は琵琶湖に浮かぶ豪華客船で行われた(但し最終回は録画放送)。歴代出演者や関係者などが総出演し、フィナーレは番組初期のオープニングテーマ曲「あの素晴らしい愛をもう一度」を全員で歌い、6年間の歴史に終止符を打った。


テーマ曲

オープニングテーマ曲
「あの素晴らしい愛をもう一度」ばんばひろふみ&谷村新司(放送開始〜1985年/加藤和彦と北山修によるヒット曲のカバー。ばんば自身がこの曲をカバーして歌うことを望んでいた。アルバム「それぞれの昨日」に収録)
「真夜中のロンリーハート」ばんばひろふみ(1985〜1986年 アルバム「DEAR MY FRIEND」に収録)
「純情サタデーナイト」ばんばひろふみ(1986〜1988年/作詞を兵藤ゆきが手がける アルバム「DEAR MY FRIEND」に収録)
「DEAR MY FRIEND」ばんばひろふみ&兵藤ゆき(1988〜1990年/兵藤ゆき作詞。関西テレビ開局30周年記念イベント「MAGMA30」のテーマ曲としても使用された アルバム「DEAR MY FRIEND」に収録)

エンディングテーマ曲
「いちご白書をもう一度」ばんばひろふみ(放送開始〜終了まで/エンディングのスタジオ挨拶部分で使用)
「真夜中のトランペット」ニニ・ロッソ(放送開始〜終了まで/スタジオでの挨拶後、大阪の夜景を映し、この曲にのせて番組が終了する)

その他のBGM
「Rio Funk」リー・リトナー(「運ベーダー作戦」BGM)
「運命」リチャード・クレイダーマン(CM前の音楽)
「Winter Games」デビッド・フォスター(番組最後の宛先紹介)

科学情報 ウドン スパゲティ
http://www.youtube.com/watch?v=MXU9Helc390
(´・ω・`)番組内のコーナーだったかな?

SACHIKO
http://www.youtube.com/watch?v=2oIK4gEZRKg

"Ichigohakusho"wo mouichido
http://www.youtube.com/watch?v=VpGyE8_zSNQ


(´・ω・`)確かこの頃に「satiko」がリリースされたと思うんだけど 思わずSPレコード買った記憶がw

コメント(2)

東京に住んでいながら知人からビデオテープを送って貰ってよく観ておりましたo(^-^)o
そういえばステッカー
何処いったかな〜(^_^;)

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