2)しかし新約聖書で"speaking in tongues"という表現が用いられる際、それが理解可能な人々にとって理解可能な「外国語」であるかどうかは不明。例外は、人々の証言を証拠として明確に語られている「使徒の働き」2章のみ。パウロがローマ8:26で「うめき」としているものを、異言について語っているものと仮に解釈するにしても、せいぜい「言語に聞こえるもの」程度のものであった可能性が高い。
3)現代における異言の存在を認めるペンテコステ派においても、"speaking in tongues"が、かつて存在したものであれ、現在も話されているものであれ、具体的に明確な「外国語」であることはきわめてまれ。ペンテコステ神学における専門用語としても、理解可能な自然言語としての"xenolalia"とそうでないものとしての"glossolalia"という区別がされている。