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Vinicius de MoraesコミュのToquinho E Vinicius / O Poeta e o Violao

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今日の日記に記したものです。


ジャズのことを記すコラムなのに敢えてボサノヴァのことを書くのにはいくつかの理由がある。 このあいだから最近の女性のヴォーカルのことを書いていてヴォーカルとは何かという問題点を考える上で、ここに詩人、作家、作詞家、作曲家、翻訳家、元外交官、ジャーナリストでありなおかつボサノヴァの歌い手であるヴィニシウス・ヂ・モライスを照射すると焦点が幾分かはっきりするように思えるからだ。 

歌手は上手でなければならない。 しかし逆説的に言うとある種、プロとして上手過ぎるとそこから退屈の虫が湧き出してくる。 だからその「上手さ」を矯めるためには人生の辛酸を自ら体験するかよほどの音楽的憑依でその辛酸を生きる経験がなければすれっからしの聴衆を納得させられないという論もあるわけで、時にはそこには若さというものが却って邪魔になることもあるのだろう。 それを考えさせられたのはタイトルの二人が作ったLPの一つ、今はCDとなっているものを手に入れて聴いたからだ。

Toquinho E Vinicius / O Poeta e o Violao / Random RR712

このアルバムには思い出がある。 大学を卒業して大阪の輸出貿易商社で毎日音響電子部品のアメリカ向け業務を頻繁に変わる為替の動向を眺めながらテレックスで顧客に対応する営業に忙しかったかたわら一年に何回かは来日のジャズメンたちのコンサートに出かけたりはしていた。 大学当時から聴き始めのめり込んだジャズの音源であるLPを求めて心斎橋筋だったかをかなり歩いたところにあったLPコーナーという名前の店でリーゼント姿の粋な叔父さん店員から薦められたのがこれで、今考えてみると録音が1975年だったから録音後まもなくこのLPを手にしていたのだった。 そして1980年にオランダに移るまで何度も愛聴していた。 けれど後年、神戸淡路大震災のとき震源地近くの友人の家が完全に倒壊したのとは比べ物にならない大阪湾の向かい側の実家の少しの揺れでも被害はあり、それがひ弱なオーディオラックが倒れ、立てかけてあった気に入りの何枚ものLPが割れてしまいそのうち処分したと報告されたそのときにはこの愛聴盤が埃の中に残念ながらも思い出だけ残して徐々に消えていくこととなった。

このごろ何かの折にはネットのジャズ放送局のボサノヴァ専門セクションを聴くことがあり、アメリカをベースとするネット局ではあるけれど今ではそこでは小野リサもしばしば登場し、今の歌声は、彼女のデビュー当時に聞いた、ナラ・レオンがジャズのスタンダードを歌って87年日本フィリップス版となっていたものの伴奏の編曲も含めてレオンのそっくりさんとして歌っていたのに鼻白んだものだが今はしっとりと厚みを増した喉で歌う Soul & Bossa の What’s Going On の心地よさ と Otis Redding で聴き慣れている The Dock Of The Bay のボサノヴァで歌うあまりにも場違いさに苦笑しながらもそれよりもボサノヴァの渋いところを集めたアルバム、Namorada の秀逸さに彼女のボサノヴァの歌ごころを聴いて、これなら Diana Krall の新作より数等いいとおもっていたところにネットラジオから上記CDもしくは塵とともに消えたLPのサウンドが Berimbau で蘇ってきてもう30年近く遠ざかっていた歌声に小躍りした。 

10年以上前にジャズ専門店やネットでこの「失われた」LPの二人のものを探していたのだが二人のものがあっても思わしくなく、それは二人のやり取りのあいだに余計なストリングや70年代の電気楽器が伴奏として混ざり、それがヴィニシウスの歌唱から我々の集中力を奪いギターの名手でもあるトッキーニョの演奏も妨げている残念なものだった。 だから今までに集めた2,3枚は一度聴いて再び聴くことがないものがほとんどだったのだがアマゾンで手に入れた本作ではLPの写真までそのまま再現されていて、語りとギター一本だけをバックに歌唱が一連となり今ではボサノヴァのスタンダートとなっている12曲に接すると私はこのアルバムをボサノヴァの最高作としてもいいような気がしてならない。 

ギター一本とヴォーカルとの組み合わせで本作と比べられるべきはローリンド・アルメイダとサミー・デイビスJrのものだ。 デイビスJrの喉は  Vinicius の物とは比べものにならないほど鍛えられたもので、歌詞の想いがしっとりと伝わるものだがヴィニシウスの喉は「上手い」ものからは距離を置いているように思える。 プロの歌屋からみれば「下手」と取られるかもしれないがポルトガル語が分からないものにもその喉から出る歌の雰囲気が充分伝わるものだ。 それはジャズヴォーカルの歌詞の意味が歌詞カードを見なければ分からなかったときにそれでも魅かれたヴォーカリストの歌唱とも共通することだ。 ルイ・アームストロングの歌唱が我々をうつのとも共通しているだろう。

本作は時々思い出しては又聴くというようなヴォーカルのクラシックだ。 同じようなクラシックは南米を少し下がってスペイン語で歌われるアルゼンチンのアタウアルパ・ユパンキの歌唱だ。


ウィキペディア; ヴィニシウス・ヂ・モライス の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%82%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9

ウィキペディア; アタウアルパ・ユパンキ の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%AD

コメント(2)

よく下手ウマとかいいますが、
それッて本質的には、下手じゃないんですよね。

歌唱技術はあるんだろうけど心に響かない歌よりも、

ヴィニシウスの自らの言葉で歌う歌は、それだけで芸術作品と思います。

サラヴァexclamation ×2うれしい顔

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