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羽仁五郎コミュの羽仁五郎bot ‏ へのTwitter_「基本的人権と自由は無制限ではなく」という表現がそもそも成り立たない。

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https://twitter.com/reef100/status/1046365120157356032

羽仁五郎bot
‏ @gorohani

基本的人権と自由は無制限ではなく公共の福祉によって制限される、現在の日本において、こうした言葉でいたるところで基本的人権と自由の制限を行っている人々は、実は現在の日本に警察国家を準備し、強化しているのだ。
20:23 - 2018年9月30日



アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @gorohaniさん

「基本的人権と自由は無制限ではなく」という表現がそもそも成り立たない。物を盗む基本的人権、物を盗む自由、そんなものは初めからない。自由を守る為に自由を制限するとか、基本的人権を守る為に基本的人権を制限する、そんな命題がそもそも言葉だけがあって実体がないのだ。仮象問題という。

自由を守る為に国家が個人の自由を制限するなら自由を認めないという事だ。基本的人権を守る為に国家が基本的人権を制限するなら基本的人権を認めないという事だ。基本的人権というのは完全な壺であり、制限したら水が漏れるように漏れていく。完全な壺でない基本的人権は基本的人権たりえない。

基本的人権は「国家 対 個人」という構図の上で成り立つものだ。国家に対して基本的人権は完全なる壺でなければならない。国家が条件付きで個人の基本的人権を認めるとか、認めないとかいうのならそれは基本的人権を国家が認めないという事だ。基本的人権は国家が認めるから存在するものではない。


基本的人権は自然権であり、法律に書いて国家が個人に基本的人権を与えたり、停止したり、剥奪したりできるものではない。国家とは無関係に、この世に国家というものができる前から自然権として万人に基本的人権というものがあるのだ。それが自然権の約束定義だ。


そもそも「国家とは、個人個人では守れない個人の自然権だが国家ならこの個人の自然権を強大な国家権力で守ることができるということで、人民が国家を作った」それが近代社会契約以後の国家の約束定義。この約束定義を源泉として国家も近代憲法も成り立っている。人民主権という学術用語もここが源泉


国家を作ったのが人民と約束定義しているからこそ、国家を作った人民が主人であり、国家を作った人民に主権(政治を最終的に決定する権利)があるのだ。近代democracy(デーモス(民衆)によるクラトス(支配;権力)も、やはりこの近代社会契約以後の国家の約束定義を源泉としている。


国家を作ったのが人民という約束定義があるからこそ、近代democracy(デーモス(民衆)によるクラトス(支配;権力)が成り立つのだ。democracyは多数決の事ではない。多数決はファシズムでも使う。今がそうだ。戦前もそうだ。


個人個人の自然権(基本的人権)を守る為に人民が国家を作ったのに個人の自然権を守るという目的を持った国家権力がなんで個人の自然権を制限したり剥奪したり停止できるのだ。それでは国家の目的に反する。そんなものは近代社会契約の国家の約束定義に合致した国家ではない。リセットすべきものだ。


ファシズムは近代社会契約の国家の約束定義の国家ではない。人民の自然権を守らない。棄損する。基本的人権を認めないのだ。自然権を認めないのだ。基本的人権というものを、法律に書いて国家が与えたり剥奪したりできるものとする。戦前の天皇主権の我が国がそうだ。そして自民党憲法草案もそうだ。

「平和を守る為に戦争をする」というのはファシズム一流の言語破壊、論理破壊だが、「基本的人権を守る為に基本的人権を制限する」というのはそれと同じ構造。「基本的人権を守る為に「公共の福祉(国家が作った法律用語の概念)」で基本的人権を制限する」というのは言語破壊、論理破壊である。

21:30 - 2018年9月30日

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