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赤ちゃんがほしい♪コミュの私の自己紹介。

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22歳の時に結婚を意識しました。
25歳で結婚するまで、生理痛がひどくて
「赤ちゃんができる体かな?」と産婦人科のドアを叩き
ました。

「子宮後屈」と言う診断で、私の場合は、まれにない
後屈であり、そのために生理痛もひどく、排卵した
卵子がきちんと妊娠できるような状態で、出てこれないと
言われました。

約3年、毎月1・2度婦人科に通いました。
「妊娠は無理かもしれないね」と言われたけど。
私はあきらめずに・・・・いました。

結婚を機に生まれ育った町を離れ、見知らぬ町で
すごす私。大きな病院もないので、不妊治療に通うことに
なるんだな〜〜と思っていた矢先に妊娠しました。

先生も驚きの一言だったらしく、妊娠を機に後屈も
正常な場所に移ったのですが、同時に「子宮筋腫」が
見つかり、また、切迫流産の危険があったために
結婚式もお医者様と看護婦さんが参列した
物々しいものになりました。

順調な妊婦であれば、赤ちゃんと語り合い、四季を感じ
そして新婚生活を楽しむはずでしたが、ほとんど病院に
いるような状態です。下手すると「寝返り」だけで
出血しました。

無事1人目は元気な女の子が生まれました。

順風に子育てをしている間に、「次の子」という
周りが騒ぎ出していても私は自然妊娠が難しいから
と思いながらも、この子ができたことで、それほど悩む
事もありませんでした。

周りが一人二人・・・・妊娠するにつれ、「焦り」が
出てきました。

その時期に「不正出血」をするようになり、生理も不順。

まさしく「二人目不妊」となりました。

卵管が狭くなっているのと、排卵してもその卵子が
きちんと育たないといわれました。

まずは生理をきちんと起こすために薬を飲み、
排卵したらその卵子を普通の大きさにするために
注射に通いました。これが痛い!歩けないくらいいたい。
打ったあと、2時間くらいは処置室で寝ていないと
動けませんでした。

注水という「卵管のとおりをよくする」という治療も
大嫌いでしたが、「赤ちゃん」がほしいという一身から
何度も何度もふらふらになりながら、挑戦しました。

毎朝、基礎体温を測り、体にいいといえば、あれもこれも
挑戦して・・・・・でも子どもができるような
兆候はなく・・・・毎月くる生理に涙していました。

体外受精の話も出ていました。その時点で、新車の車を
2台買えるくらいの治療費や交通費をかけていました。
上の子も小学生になること、この子だけに愛を注ぐことも
大切だと・・・・・

治療だといえば、一人で幼稚園でお留守番。
具合が悪いと言えば、一人で本を読んだり、おままごと
私が不在気味だから、「自家中毒」の症状が出たり。

可愛そうな思いをさせるために、赤ちゃんは要らないと
判断しました。

そう思って、最後の治療に行った日に
やはり具合が悪く、処置室で寝ていたら
お掃除のおばさんが入って着ました。

私が泣いているのに気が付いて、そっと私の手に手をのせ

「あなたは神様を信じる?神様がもしいるのなら、
あなたに授ける赤ちゃんの順番が今は来ないのよ。
必ずあなたの努力や心が通じたら、赤ちゃんを育ててください
という順番が来るわ」と言ってくれました。

治療でぼやける頭の中に、おばさんの言葉は温かく
よく聞くとおばさんはおこさんに恵まれず、里親という
制度でお子さんを育て、今は成人されたということ。

「でもね、子どもはいつか旅立っていくのよ。その時に
旦那さんとの新しい人生が始まるの。子どものいない人生も
また楽しい、いるのもまた楽しい。それが人生だわよ」と
教えてくれました。


そして・・・・不妊治療を始めて7年。私たち夫婦は
すっぱりと不妊治療をやめ、私は新しく仕事を始めようと
思っている矢先に・・・・・

今は二人の子どもの子育て中ですが、

不妊中のつらさは、誰よりもわかっていると思っています

長々と読んでいただいてありがとうございます。

もしこれが、あなたの力になれば、いいと
これからも書き続けて生きたいと思います。よろしく
おねがいいたします。

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