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歎異抄コミュの悪人正機について

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「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」(第三章)

歎異抄と言えば悪人正機、悪人正機と言えば歎異抄という位、有名ですが、誤解されていたりすることが結構多いところだと思います。

悪人正機とは、「悪人が正しい機類である」という意味で、阿弥陀仏の本願は悪人を救わんがために建てられたということです。このように聞くと、世の中には善人と悪人がいるように思われますが、実はそうではないのです。

阿弥陀仏は十方衆生(大宇宙の生きとし生けるものすべて)を救うと約束していますが、その十方衆生は悪しか造れないものと見抜いて本願を建てておられます。

そのことを釈尊はお経に説いておられ、親鸞聖人も「教行信証」に書いておられれます。

「一切の群生海、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮顛偽にして真実の心なし」 

そしてそういう悪しか造れない一切の衆生を救済するために建てられたのが、阿弥陀仏の本願なのです。

第七章に
「罪悪深重の衆生を助けんがための願にてまします」
とあるのは、そのことを表しており、

「自分こそが罪悪深重の衆生であった」
と知らされたときに
「弥陀五効思惟の願は、親鸞一人がためなり」
と本願に救われ、無碍の一道の世界に雄飛することができるのです。

自力で修行して悟りを開ける善人ならば、そのような努力をしればよいのでしょうが、末法五濁の現代にあってはそのような人は一人もいないであろうと、釈尊は『大集経』に説いておられます。

悪人正機の教えは浄土真宗の根本教義であり、すべての人が救われる教えであることを示したものなのです。

親鸞聖人が、伝統的な戒律をあえて破って、肉食妻帯をされた目的も、どんな人でも救われることを示さんがためなのです。

まさに聖人のご苦労はそのことを明らかにするためであり、いやしくも浄土真宗の僧侶を名乗る方々は、聖人のこのご遺志を受け継いでいただきたいものです。

コメント(16)

悪人正機のトピックありがとうございます。
願わくは、お釈迦様も下卑た方言で説法したと聞いています、やさしい言葉が嬉しいですね。

お経も難しい言葉でゴニョゴニョと、何だか有難そうだけれど、実は何を言っているのかさっぱり分からない。
反対に『何とかの般若心経』みたいに、勝手な拡大解釈で、実はこういう意味なんです。というものあまり面白くないのですが。

しかしここは素人の私達も喋り易いような雰囲気が嬉しいです。
入ったばかりのものが、何も分からずこんなこと言ってすみません。

でも私はずっと思っていたのです。仏教というのは「何だか有難そうな教え」では無くて、こんな生き方をしたらどうですか、もっと楽に生きていく事が出来ますよ。あなたの涙は半分に減りますよ。とお釈迦様は言ってくれているのだと思います。

其れを優しい言葉で、若い人たちに語りかけてくれたら嬉しいな、話し合えたら嬉しいなと思います。
しょうちゃんさん

貴重なご意見ありがとうございます。
皆さんが発言しやすい雰囲気は大切ですね。

実は親鸞聖人は、今まで山の上にあった仏教を山の下に
下ろされ、一般大衆の中に切り込んでいかれた方だと聞いた事があります。

それは浄土真宗の教えはいつの時代でもどんな人でも救われる教えだからです。
ここを、その浄土真宗の教えについて話し合える場にしていけたらと思っています。
「悪人」って何でしょうね。
「善人」って何でしょうね。
「浄土」ってどのようなものと、信じていますか?
親鸞聖人が言われる「悪人」とは、すべての人間のことです。

阿弥陀仏の本願の相手は「十方衆生」でありますから、すべての衆生は悪人であり、その悪人を救うと誓われているのです。

歎異抄には
「いずれの行も及びがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」とあり、「地獄しか行き場のない親鸞だ」と言われています。また

「さるべき業縁の催せば、いかなる振る舞いもすべし」

とあり、「縁が来たら、どんな悪いことでも親鸞はやるだろう」と告白されています。ありとあらゆる悪業の種を、自分は持っていると言うことです。

これは決して謙遜や卑下で言われているのではなく、弥陀の光明によって照らし出された、真実の自己の姿です。

これはもちろん、親鸞聖人がご自身のことをおっしゃっているのですが、同時に自分の姿を通して一切衆生の姿を見ておられるのです。

善人とは「自分は善人」とうぬぼれている人のことで、善人だと思っているのは、真実の自己を映し出す鏡から遠いので、まんざらでもないと思っているのです。

法の鏡に近づけば近づくだけ、自己の本当の姿が知らされます。その知らされた自己の姿を告白されたのが、親鸞聖人の先ほどのお言葉です。
宗りんさん。

そうかなあ。その言葉を突き詰めると、易行,難行の難行に行きつくのではないですか?

親鸞さんは易行と難行を峻別してましたよね。
作善もダメだといっていますよね。

私の実家は,宗教の見本市みたいな,宗教一家です、お坊さんもいます。
家族を見ていて、信仰する人には、二通りあるようです。
善を為そうとする人と、神の御心のままにと考える人と。

でも親鸞さんが言われているように、善を為す事、人を思いのままに救う事は、大変、有り難し(難しい)。ですよね。だからご自身は、易行を薦めているのでしょう。

私は歎異抄を読んだ時、何の違和感も、何の疑いも無く、すっと心の腑に落ちました。
そんなに難しく考えると却って、あらぬほうに行ってしまうのと違いますか。
「弥陀の本願には老少善悪の人をえらばれず、ただ信心を要とすと知るべし」 (歎異抄第1章)

「必ず信心を以って能入と為す」 (正信偈)

「聖人一流のご勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候」      (ご文章 聖人一流章)


親鸞聖人の教えは【信心為本】と言って、他力の信心ひとつで救われるという教えです。そのほかには、一切必要ありません。念仏は救われたお礼ですので。

だから、蓮如上人は「一日も片時もいそいで、信心決定せよ」と勧めておられます。
もっくん。
勝手な議論吹きかけてごめんね、困ったら言って下さい。すぐやめます。

私が今まで出会ったお坊さんは、お浄土はこの現生(娑婆世界)に、あなたの隣にある。と言われます。
確かにお釈迦様も「霊魂があるのかまた、無いのか、今は分からない。だから霊魂の事は議論しない」と言われたようですね。

私も、お浄土が「絶対有る」とは思っていない、真実は分からない。

しかし親鸞さんを師と仰ぎ、歎異抄を心の支えとするお坊さんなら 「お浄土はあります」 と言い切って欲しいなと、私は思います。

だって歎異抄は全編、「南無阿弥陀仏と唱える事で、どなたでもお浄土に迎えられるんですよ。私はそのことしか知らないのだから」と語っておられる。
いやお浄土は無いんです。この世界のあなたの隣にあるんですよ。という話だったら歎異抄は何処に行ってしまったの。他力本願は何処に行っちゃったのって思うんです。
神父さんが神を信じてなければ、話にならないのと同じ事。

こんな科学の世の中で「お浄土」なんて信じないですよ。という話だったら反対に、科学では「お浄土」を全否定する事もまた出来ないのだし。更に言えば、親鸞さんも「私も喜び勇んで早く、浄土に行きたいという気持ちが起こらない」という所を見れば、心底、浄土の存在を信じていたかどうかは、疑わしいとも思います。
でも親鸞さんは、私は信じていますと言い切っています。其れが凄いし。

まずは親鸞さんも、南無阿弥陀仏を丸ごと信じる事で、「他力本願」の世界が見えてきたのだと思います。

「浄土」が無ければ「他力本願」は無いのだし。『他力本願』が無ければ浄土宗と法華のかわりめ、も無いでしょう?

そんなわけで、どうして「お浄土はありますよ」とお坊さんが言わないのか、不思議で仕方が無いのです。

私は素人ですが、丸々信じてみたいと思います。信じた所で、親鸞さんの言われる「悪」って何なのとか。一見正しく思える『断悪修善』を何故避けるのとか、私なりに思考したいと思っています。そのことで親鸞さんの『他力本願』の世界が見えてきたらいいなと思っています。
そのために皆さんの意見も聞きたいのですが。

こんな勝手な書き込みしていいのかな、と思いながら・・・
浄土真宗の教えは、「現当二益」と言って
この世の救い(現益)と、未来の救い(当益)の両方が
教えられています。

だから、「浄土はこの世にある」というのは絶対に間違いです。少なくとも親鸞聖人の教えを信奉するならば。

現当二益を示した御文は沢山ありますが(歎異抄9章など)、
トピックを新しく立てて、示したいと思います。

しょうちゃんさんのご指摘は、大変重要で
もし「浄土はこの世にある」と教える真宗の僧侶がいたら、
親鸞聖人の教えに反していることになります。

貴重なご意見に感謝します。
とっても嬉しいです。

「歎異抄」について初めて話すことの出来る人に出会えた気がします。ありがとうございます。
調子に乗ってもう一つ。

私は「善人」とは、「善」についてのハードルの低い人だと考えています。

今の日本でどのように生きようと、現代は資源や食べ物は世界中から収奪し、資源は使い放題、日本中廃棄物だらけにし、自然はこわす、有害物は垂れ流す、資源を枯渇させ、借金だけ残し、次の世代はどうやって暮らしていくのだろうと思っています。

こんな暮らしをしていたら、どんな神様も絶対に、天国なんぞに入れてくれる訳がありません。其れ一つとっても、自分は善人だ何て言えるわけが無い。

でも自分は悪い事はしたことが無いよ、「善人」の部類でしょうね、とほとんどの人がそう思っていますよね。そんな風に、自分は善人だと思っている人は皆「善人」だと私は思います。

反対に親鸞聖人や、例えば山頭火みたいに「善人」についての基準が高く、自分は悪人だと、じくたる思いを抱いている人を「悪人」とこの歎異抄では言うのでしょう。

そう思うと「善人なおもてよく往生す、いかにいわんや悪人おや」の言葉が、私にはすっきりと飲み込めるのです。

私は若いときから、禅宗の「悟り」と「他力本願」とを素人の目で、見比べていました。
いまこの年になって、やっと「他力本願」の本当の凄さが分かり始めたかな、入り口が見えたかな、と思うようになりました。

「歎異抄」は百人百様の『歎異抄』があるのでしょう。この深い深い、世界をさまようのは本当に楽しいですね。
私はこの十年くらい、毎日「歎異抄」を少しづつ読んでいますが、毎回何か新たな発見があります。
先日、「親鸞」を読みました。悪人正機説が大事だと思ったからです。
 私は、このことで救われたからです。
 親鸞聖人はまた、80近くにご自分の息子さんと絶縁しています。信じることに対しては、そのものが間違った解釈や弟子を翻弄したと書いてありましたが、その実行力・決断力は凄い物があると思います。

 また、その頃から般若心経を朝と晩に唱えていますが、他にお経を勉強したいと思いますが、何がよろしいですか?
>キューピーさん

浄土真宗を学ぶならば、浄土三部経といって、
大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経が一番です。

親鸞聖人は
「それ真実の教を表さば、大無量寿経これなり」
とおっしゃっておられます。
「悪性さらにやめがたし 心は蛇蠍のごとくなり
 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたる」

「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし
 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」
             (悲嘆述懐和讃)

「いずれの行も及びがたき身なれば、とても地獄は一定
 すみかぞかし。」    (歎異抄)


親鸞聖人が自己の罪悪を告白された言葉は、枚挙に暇がない。
これらは、もちろんご自身の姿をおっしゃった言葉であるが、
親鸞聖人だけのことであろうか?

歎異抄は一応、聖人がおっしゃったことが書かれていると
言われているが、教義にかかわる重要なことに関しては
根本聖典である『教行信証』によらねばなるまい。



「一切の群生海、無始よりこのかた、乃至今日今時に至るまで
 穢悪汚染にして清浄の心なし。
 虚仮詔偽にして真実の心なし。」 (教行信証 信巻)

「しかるに無始よりこのかた、一切群生海、無明海に流転し、諸有輪に沈迷し、衆苦輪に繋縛せられて、清浄の信楽なし。」
                  (同上)


「一切の群生海」とは、すべての人間ということで、
すべての人間は無始より今日まで、悪業に縛られて苦しみの
世界を経巡っているのだと喝破されている。

親鸞聖人は、自己の真実を通して、万人の真実の姿を観ておられるのだ。もちろん聖人の独断ではなく、釈尊が教えておられるからである。

『大無量寿経』の本願成就文に「諸有衆生」とある。
諸有とは、25有生のことで、六道を細かく分けたものであり、衆生とは生きとし生けるもの全てであるから、
全ての人間は悪業のために苦しんでいるのでる。

全ての人間は煩悩のために悪業しか造れず、そのために苦しんでいる。その全ての苦しんでいる人間を助けるという約束が、
阿弥陀仏の本願である。

しかし、自己の罪悪に気づかなければ、つまり自分が善人だとうぬぼれていれば、
悪人を助けると誓っておられる本願を求めようという気にはならない。
自分が病気だと思わなければ、病院に行く気にならないようなものである。 

このことを正信げに
「邪見驕慢の悪衆生は、信楽を受持すること甚だもって難し」
と言われている。

悪人正機とは、阿弥陀仏の本願の対象は悪しか造れない十方衆生であることを示されたもので、そのことを歎異抄では

「願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば」

と言われている。
>> もっくんさん
>親鸞聖人が伝統的な戒律をあえて破って、肉食妻帯をされた目的も、どんな人でも救われることを示さんがためなのです。


それは、「肉食妻帯は善くないことだと思いながらも、それでも救われることをただただ人々に示す目的で、あえてした」という意味でしょうか。
それとも、「肉食妻帯は全然悪いことじゃないと自ら得心する所があって行われた」のでしょうか。
>>[11]

>親鸞聖人はまた、80近くにご自分の息子さんと絶縁しています。


自分の子を絶縁するということは人間として、とても悲しく苦しい決断だったろうと思います。
しかし尊い教えをねじ曲げて広めるわけにはいかない、それによって多くの人をどんどん誤らせるわけには絶対いかない、という衆生への慈悲が身内への利己的愛情よりもまさったのでしょうね。
絶縁をきっかけに息子さんがぜひ正しい道に向き直られたことを祈りたいと思います。

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