『ファニーゲーム』 ファニーではないけれど、ファンキーであった。出来事的なことより、ビデオ的映像があまりに嫌で、最初の方で止めようとしたが、とりあえず観る。が、このレゾリューションがチープな感じのビデオ的映像は、最後まで観ると、我々のまわ
『三人の女』 めも ★男に媚びる女。 ★子供のような女。 ★シェリーデュバルとシシースペイク、ふたりとも凄まじくヨカッタ。 ★双子は嫌い → ペルソナ ★気まぐれで、慈愛があり、不安を抱える。そうした女性
『私が、生きる肌』、トレーラー&パッと見の解説で、なんだか肌の移植はコワいな、でもって好きなヒトを他人に造形するといった内容なのだろうという先入観で、観始めると、オッタマビックリの作品だった。ライティ
『息子の部屋』まったく思い出せないし、ただのドラマ映画だったように印象するだけであるが、ナンニモレッティの特集を観に行ったことあるけど、それを思い出せば、悶々としているヒトが唐突にキレるところあったり、スポーツ好きだったり、そうしたとこ思い
人はとても深い意味で、キリスト教文明に属する一員だ。私は文化的にキリスト教徒なのであって、信仰上のことではない。 by ブニュエル カトリック信仰の子宮から逃れることができないんだ。どうしたらカトリック教徒では
『小間使の日記』 後述『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』 自身をブルジョワジーと認めるブニュエル、ゆえに、ヴィスコンティ的なものも今回は先入観としてたったちゃった。 フェルナンドレイ以外は司祭も含め無知である。日本やアメリカは「見られ」
『女の都』 マルチェロと二人の女性がバーレスクにダンスするときに、風のヒューヒューという音が鳴る。陽気なバーレスク音楽とダンスが表わされながら、ヒューという音が鳴る。これこそが、フェリーニが表わすモーションのエクスプレションなのだろうと
『欲望のあいまいな対象』 これも何度目かである。一貫するモーションとして愛/殺意がはっきりと今回、感じられた。フェルナンドレイが持つ麻袋に今回、気が付く。或いは、いつもそれには気が付いていたのかもしれないが、そのことはわすれている。川沿
『リトル・ブッダ』 東洋三部作はどれもラスト、悟りが表わされるが、『ラストエンペラー』と『シェルタリング・スカイ』が苦悩の書という趣であるけど、それに比し『リトル・ブッダ』は幸福の書という感覚である。シアトルのブルーの色彩は哀しいブルー
ナンニモレッティ、久しぶり観たいな、特に『親愛なる日記』である。レンタル屋になし。おもえば、アルモドバルの『神経衰弱ぎりぎりの女たち』や『アタメ』と同じ時期に観て、ちがった形ではあるけど、ショックをくれた。劇映画しかほとんど観たことなか
『オール・アバウト・マイ・マザー』 『トーク・トゥ・ハー』など最近のもいいけれどアルモドバル、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』や『アタメ』のころに比べて重厚になっていくのに違和感を持ちつつも、やはり『トーク・トゥ・ハー』は素晴ら
キアロスタミとハネケのカメラアイが気になる。キアロスタミのカメラアイ 『桜桃の味』ハネケのカメラアイ 『隠された記憶』キアロスタミの幾つかのトレーラーをみて ★普遍な生活の、切り取り 地域性としてのそれであるところの普
『8 1/2』 久しぶりに観る。やはりよい。ラストはやはり感動。カメラムーヴメントや人物の動き、ショットやシークエンスの繋がり、ものすごくなめらかに、今回はものすごくそれら感じられる。ラスト、グエドは混乱を受け入れる。そして、このテクストその
私は音声に映像と同じくらい表現力を与えて、一種のポリフォニーを作り上げる必要があると思う。 映画ほど、自分の世界によく似た世界を作らせてくれるものはない。しかもその世界は他の未知の、並存する、同心円的世界にも似ている。 事物を見
フェリーニも大好きな『ブルジョワジーの密かな愉しみ』、そのニューヨークタイムズ批評家評ブニュエルはネオレアリズモをあまり好んでいないようだが、『自転車泥棒』『ウンベルトD』、フェリーニの数編は好きなようである。そのうちの一本『甘い生活』のニ
『フェリーニのローマ』と『銀河』 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955678749&owner_id=2566286銀河 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955691949&owner_id=2566286フェリーニのローマ http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955691958&owner_id=2566286『
『女の都』について マルチェロ・マストロヤンニと働くのは実に楽しい。何も訊かず、シナリオを読みもしないで、役の中にすんなりと入ってゆく。彼の考えは「先のことを前もって知ることのどこが面白いんだい? 登場人物のように、一日一日発見してゆきた
フェリーニは晩年、映画がもう終わってしまうのだと危惧していたわけだけれど、それはある意味、正しかった。チャップリンから始まる“映画”として、フェリーニ、そしてブニュエルをもって終わったのではないか。 スピルバーグとルーカスのブロックバ
ユーモア溢れる詩的幻影の深層には、毒がある。あるいは、だからこそポイズンなのかも。 ★ ★ ★『アマルコルド』 ただひとつの目的を追求するカトリック教育もそうだ。個人を劣等状態に置き、人間の完全さに攻撃を加え、
『皆殺しの天使』について 『ブルジョワジーの密かな愉しみ』のテーマと同じ。つまり、原則的にはたとえ出来るにしても、何かをすることが不可能だということ。 by ブニュエル『サテリコン』について遺跡の散り散りの断片。闇の中に
『甘い生活』についていかなることがあろうとも、人生には否定し難い、深い、甘美な側面があると言いたかっただけである。 by フェリーニ『ビリディアナ』についてテーマは現実と願望、すなわち現実と夢想との乖離、とインタビ
ピラトがキリストに「なにが真実なのだ?」と言った。私はピラトに共感する。私は真実を追求することに力を注ぐ人に同感する。真実を発見したかのように話す人には同感しない。 by ブニュエル
ブルトンの詩「愛は地中の奥深く、暗闇で祝祭されるべき、秘密の儀式である」は私にとって福音である。 by ブニュエル
神話は僕たちを守ってくれるが、僕たちは現実を直視し自ら責任をとり、大人にならなければならない。 by フェリーニ