9月も半ばを過ぎ、昼間は暑いけれど、夜風には秋の気配が漂い始めた。
皆さんは、夏の間に心ときめく出来事はあっただろうか。
この、夏に起こるアバンチュールや短い恋愛を、世間では「ひと夏の恋」とか「ひと夏の経験」と呼ぶ。一夜限りの恋なんて四季を問わずあるものなのだが、夏に起こるとなんだか特別な感じがする。だからこんな呼び方をするのだろうか。
そもそも「ひと夏」とはどういう意味だろう。ただの「夏」とは違うことはなんとなくわかるが、具体的にどこが違うというのは答えられない。そんなわけで「ひと夏」について色々と調べてみることにした。


「ひと夏」の言葉を探る
『日本国語大辞典』で「ひと夏」の項目を引いてみると「夏3カ月の間、夏いっぱい」「過ぎ去ったある年の夏」という2つの意味があった。
「ひと夏」という言葉を最初に使った人物ははっきりしていないが、室町時代の古辞書『いろは字』に「一夏(ヒトナツ)」という言葉が残されており、かなり昔から存在していたようだ。また、春夏秋冬のなかで「ひと冬」という言葉はあっても「ひと春」「ひと秋」とは言わない。どうしてだろうか。
この疑問について、日本語研究者である静岡大学人文科学部客員教授の平野雅彦さんに伺ってみたところ、大変興味深いお話を聞くことができた。
「日本は1年のうちに春夏秋冬と4つの季節があり、12カ月を4で割ると各季節を3カ月ずつでわけられます。
しかし『ひと夏の 体験』というときの『ひと』は、『三ヶ月の夏の体験』という意味ではなく、『(あっという間に)過ぎ去ってしまった夏の体験』という意味です。つまり、夏と冬は存在そのものが烈しく、あっという間に過ぎ去っていくものだということです」
たしかに、夏と冬は過ごしやすいとは言えず、暑さ寒さで命の危険にさらされることもあるだろう。照りつける太陽や降りしきる雪も、季節をより強い印象にする。そして目まぐるしく変わる気候に必死になって、季節感を楽しむ間もなく過ぎていく。
反対に春と秋は、厳しい季節を乗り越えて訪れた穏やかな気候のなか、ほっと一息つくような気持ちになる。あたたかな日差しや涼しい空気は、ゆったりとした時間の流れを感じさせる。
そこに「激しさ」は存在しない。だから「ひと春」「ひと秋」という言葉は存在しないのだ。
つまり、「ひと夏」は、短く激しい夏の体験を振り返った時に使われる言葉なのである。あっという間に過ぎ去った物事ほど、遠い昔のことのように思えるものだ。「ひと夏」という言葉の裏には、過去へと向かって早いスピード で動いて行く「時間の感覚」が潜んでいる。
余談であるが、春の語源は、未知なる力が「張る」、秋は、「飽きる」ほど農作物が実るということから来ているとのことだ。
なんだか駄洒落のようだが、本当の話だそうである。

人は昔から夏の出会いを楽しんでいた
さて、「ひと夏」の意味は無事に解明したが、これが恋やアバンチュールを暗示するものとして、広く用いられるようになったのはいつからなのだろうか。
瀬崎圭二著『海辺の恋と日本人』によると、日本人は昔から夏の海辺での出会いや恋を楽しんでいたようである。明治時代に入ると上流階級を中心に、避暑のため海水浴に行く習慣が広まっていった。避暑地や旅館についての書物も増えていき、作家たちも、自分の旅行先を小説のスタイルで紹介し始めた。小説家・江見水蔭の著書『避暑の友』には、海辺で知り合った女と競泳を楽しみ、身の上話などをして仲を深めたという短編『海水浴』が収録されている。
明治の人々にとっても、偶然の出会いが生む「夏の恋」は物語になるほどロマンがあるものだったわけだ。

戦後、「夏の恋」はより刹那的に?
昭和に入ると、戦争の影響から海水浴の習慣を失うが、戦後再び復活する。一般大衆も海水浴を楽しむようになり、湘南では水着姿の女性も増え、海岸はより開放的な出会いの場となった。昭和30年には、石原慎太郎が、湘南でヨットやボクシングに明け暮れる不良少年・竜哉と街でナンパした少女・英子との恋や性を赤裸々に描いた『太陽の季節』を出版する。その破廉恥とも言える内容から、賛否がはっきりと別れたが、ベストセラーとなり翌年には映画化された。かつてはロマンチックなあこがれだった「夏の恋」は、より刹那的な「アバンチュール」としての側面を強めていったのである。


戦後、世の中が自由になるにつれて、人々もより大胆になったというわけだ。夏の出会いや恋愛は、映画や文学、また自分の実体験を通して、少し不純なものと捉えられるように
なったのである。そのような認識の変化から、「ひと夏~」の「あっという間に過ぎ去る烈しさ」の中に、いわゆる「火遊び」の意味も含まれるようになったのではないだろうか。

百恵ちゃんも「ひと夏」の普及に一役?
1974年、山口百恵がシングル「ひと夏の経験」をリリース。「あなたに一番大切なものをあげるわ」といったちょっとエッチな歌詞で話題になった曲である。百恵ちゃん自身は、一貫して「あれは真心を指している」と言っていたそうだが、75万枚を売り上げる大ヒットとなった。何はともあれ、同曲のヒットで「ひと夏の~」は広く知れ渡り、気軽に使える言葉となった。また、「ひと夏の経験=アバンチュール」の図式もより揺るぎないものにしたとも言えるだろう。

とても深い言葉だった「ひと夏」
「ひと夏の~」は、もはや慣用句のようになっているせいか、深い意味について考えることもなく使っていたが、実は深い理由と人々の歴史が隠されていた。
最初は「あっというまに過ぎ去る」という意味で文学などに使われていたが、海水浴の普及による夏の出会いが増えて、アバンチュール的な要素を持つようになった。そこに百恵ちゃんの歌がヒットして、一般庶民にも広く使われるようになったのである。
言葉の成り立ちは本当に深い。そして、社会変化とともに意味も変わっていくものだ。「ひと夏の恋・経験」は、近代になって自由な恋愛を楽しめるようになったからこそ生まれた言葉なのである。

秋本番はもうすぐだ。「ひと夏」に心当たりのある方は、秋のゆったりとした時間の流れのなかで、過ぎ去った夏のドキドキを振り返って楽しむのも良いかもしれない。
(エキサイトニュース編集部 富下夏美)


【参考文献】
『日本国語大辞典』編集・日本国語大辞典第二版編集委員会/小学館
『海辺の恋と日本人』著・瀬崎圭二/青弓社